大長の風景 「みかんの玉手箱」
- トップページ >
- 大長の風景
大長の風景
大崎下島の豊町には段々畑が広がり、秋にはみかんがたわわに実る。
収穫前にはみかん色に染まるこの島は、別名「黄金の島」と呼ばれてきた。
正面に見える岡村島に「もとすえオーチャード」があります。
岡村島から見た大長
大長から望める景色♪
御手洗の風景
ゆっくりとした時間が流れるレトロな空間 江戸時代、風待ちや潮待ちの港町として栄えた御手洗は、平成6年重要伝統的建造物群保存地区として国から選定されました。土地が狭いため数度にわたって埋め立てられた御手洗は、大小の商家、茶屋、船宿、住宅、神社、寺院などが混在し、集落中心路、集落連絡路、集落生活路(小路)等が網の目のように巡っています。 |
千砂子波止・高燈籠 「千砂子波止」は江戸時代後期に芸州藩が築いた防波堤で、当時の最高の技術が用いられ、中国無双と称えられました。 「高燈籠」は、「千砂子波止」の突端で灯台の役目を果たしてきました。高さは6.18mで、当時の繁栄ぶりを現代に伝える歴史の証です。 |
江戸みなとまち展示館・乙女座 昭和12年、御手洗に劇場がなかったことから乙女座の建設を計画。その建物は建築の粋を集めたモダン劇場として一際目立ちました。戦後は昭和30年代まで映画館として親しまれ、その後は選果場に転用されましたが、平成14年3月、現在の形に復元されました。 |
|
歴史の見える丘公園 御手洗地区の重要伝統的建造物群保存地区の選定にあわせて、地区を見下ろせる高台に設けられた公園。御手洗や来島海峡、四国の山々が一望できるほか、みかん畑の間を通る遊歩道からは四季折々の風情が楽しめます。 |
天満神社 御手洗という名の起こりは、神功皇后が三韓侵略のとき、この地で手を洗われたということから、この名がつけられたと言われ、古くから神功皇后伝説があった。 1860年にこの地に遊んだ勤皇僧、宇都宮黙林の詩にもそのことが書かれている。 明治に入ると御手洗の主人公は菅原道真に移った。 901年、菅公が太宰府に左遷されたとき、船をこの地に寄せ天神山の麓のこの地で、口をすすぎ、手を洗われ天神地祇にお祈りした。 このところを菅公御手洗いの井戸とし文筆の神にあやかって、正月の書き初めは必ずこの若水をくんで書いたものである。 |